岩倉の地に息づく、
「良心教育」の伝統

幕末の動乱の中、日本の将来を憂いて突き動かされるように単身渡米した青年。それが、後に同志社を創立する新島襄です。在米中に新島は、近代化を急ぐ日本にはキリスト教の精神に基づく心の教育こそが必要だと考え、日本にキリスト教主義の学校を設立したいという志を抱きました。

ある日、神学校を卒業したばかりの新島が、アメリカ・ラットランドのグレイス教会の集会で登壇。「日本にキリスト教を基礎とする学校を建てたいのです!」と訴えました。その熱意に打たれた人々が次々と募金に応じ、その場で5,000ドルもの献金が集まりました。その中には、帰りの汽車賃をそっと差し出したという老農夫の2ドルも含まれていました。

新島はそんな異国の人々の想いを胸に帰国。1875年、京都の地に同志社英学校を設立しました。生徒をかけがえのない「同志」として、一人ひとりの個性と人格が十分に尊重されることが大切だと考えていた新島。同志社高校は、その信念であった「良心教育」を建学の精神とし、キリスト教主義・自由主義・国際主義を土台に据えた人間教育を推し進めています。

校祖 新島襄

校祖 新島襄

一つの私立学校の創立者であったばかりでなく、明治という日本 近代化の流れの中で指導的な役割を果たした思想家でもありました。同志社の創学において、その願いは「一国の良心ともいうべき人々を育成する」こと。その志は現代に受け継がれ、キリスト教を徳育の基本として、知育、体育にもすぐれ、個性豊かな良心によって社会に貢献する人々を世に送り出しています。

キリスト教主義

精神と行動を自ら正し、
社会に貢献する人物が育つ

周りに流されるのではなく、自分なりの正しい考え方をしっかりと持ち、変革を自ら実行する「一国の良心」となる人物を育成するにはどうすればよいか。校祖・新島襄は、神を信じ、真理を愛し、他者に対する思いやりの情に厚いキリスト教に基づく徳育こそが必要であると考えました。その信 念に従い、同志社高校ではキリスト教主義教育を基本的な方針として実践しています。朝はチャペルで礼拝を行い、「キリスト教学」の科目では愛と真理と正義を学ぶなど、「良心を手腕に運用する」人間が育つ教育が受け継がれています。

自由主義

一人ひとりの可能性を引き出し、
主体的な姿勢を育む

同志社には、「倜儻不羈(てきとうふき)」という言葉が受け継がれています。才気がすぐれ、独立心が旺盛で、常軌では律しがたいことを意味する言葉で、新島襄が好んで用いました。同志社では、こうした高い能力を持つ生徒の可能性を最大限伸ばすため、一方的に指導するというスタンスではなく、個性を大切にし、一人ひとりが自発的に行動して自分の力を発揮できるよう努めています。これが同志社の考える「自由主義」であり、その考え方はバラエティに富んだ選択科目や多様な進路を保障するカリキュラム、生徒がつくる岩倉祭などにも表れています。

国際主義

異なる考え方を受け入れ、
価値の創造に活かす

アメリカでの勉学や視察を通して、教育の重要性に目覚めたことが契機となり、新島襄は同志社の設立を決意しました。そのような歴史を持つ同志社高校は世界に目を向けて学ぶ姿勢を重視し、オーストラリア・ウェズリーカレッジとの交流やアメリカ・ヌエバアッパースクールでの国際交流プログラム、それに加えてプレゼンテーション大会やスピーチコンテストなど、英語力を集中的に伸ばす取り組みも実施しています。

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